高等部3年生の前期現場実習に行った職場は、とても良い感触だと勝手に思っていたのですが、職場からの評価は厳しいものでした。よくよく考えてみたらコミュニケーションに多くの問題を抱える息子に、接客業という職種が向いているはずがないと判断し、後期の実習先を探すことから始めなくてはいけなくなりました。その時から、本人にも母にも焦りがあったのだろうと思います。クラスメートや下級生たちが実習に行く中、一人だけ実習先が見つからずに1ヶ月以上を過ごし、ようやく見つかった職場でした。そして、「指定された仕事ができれば採用も検討する」と言われて、息子は2週間の実習をがんばりました。その結果、年内に採用が決まりました。年が明け、1月と2月にも1週間ずつ実習に行き、3月下旬から働き始めました。
その時すでに、職場から言われた問題が数点。その改善のために、3月中は学校の先生が付き添って指導してくださいました。そして、そのままジョブコーチに移行できればよかったのですが、諸般の事情で、ジョブコーチが入れるのが4月中旬からとなっていました。すると、その間のたった数日間で吹き出した数々のトラブル。実習に来るだけの障碍者には優しくするけど、一緒に働く障碍者は面倒なだけ?息子は一緒に働く方々から厄介者扱いされてしまっていました。
最初に実習で覚えたはずの仕事はやらせてもらえなくなり、次々とやる仕事が変わりました。その理由は、ミスが多い息子に仕事を任せられないというもの。その通りだと思います。でも、実習では採用できる位の仕事ができていた息子が、なぜミスを多発するようになったのか?その原因は職場環境にあったと思うのです。
雇用され働き始めた時、すでにあった問題を改善するためという理由で、午前中は実習中にはしていなかった仕事をすることになりました。そこの持ち場を仕切っていたのが、ベテランの嘱託雇用の年配者だったのですが、その場で口頭のみの指示を次々と出す方でした。3月に支援に入ってくれた学校の先生も4月から入ったジョブコーチも、その指示では息子が全く理解できないと思ったそうです。そして、それを伝えてくれたのですが、「そんなこと知らん。わしはわしのやり方でやる。」と言って、息子への対応を変えようとはしてもらえませんでした。そして、息子は「指示通りの仕事を全くできない」と評価され、意味も分からず叱られる毎日でした。
午前中がそんな風にストレスがある環境で過ごすことになったため、午後からの、それまではできていた仕事にも影響が出てきます。ミスが重なり、何度注意されても改まらないので、とうとう採用されたはずの仕事から外されました。そして、ストレスの根源である持ち場の仕事が残ることになった為、ジョブコーチが職場の担当者と話し合い、息子が一人でできる仕事を探してくれました。もう一つ、息子が声をかけられるだけで落ち着かなくなってしまう嘱託のベテラン職員からは、指示を出さないようにして欲しいと話してくれました。
それから少しの間は落ち着いてきた様子も見られたのですが、慣れてくると出てくる障碍特性・・・『暗黙のルールがわからない』『勝手に俺ルールを作る』、それを職場は理解しない。問題を持ち帰る度にジョブコーチに連絡して、相談して、知恵を出し合って、本人の行動を改めさせる。その繰り返しでしたが、職場での注意はなくなることはありませんでした。それは、息子の問題行動を引き起こしている根本の原因が改善されていないからでした。根本の原因とは、自閉症の息子にとって落ち着いていられる環境ではないこと。息子の障碍特性を理解してくれる人が職場にいないこと。どれだけ言葉を尽くして話しても、理解してもらえませんでした。問題行動をなくすための数々の提案も、そのほとんどが「できない」と拒否されました。
半年後、とうとう糸が切れました。仕事から帰って来た息子が「もう辞めます。」と言います。何があったの?息子に聞いてもわかりません。職場に電話しましたが、「何もありません。」と言います。そんなはずない!でも、親からそれ以上は聞けませんでした。
ジョブコーチに息子の様子を連絡して、職場に聞き取りに行ってもらいました。その日、何かがあって、例の嘱託職員から注意された息子が、嘱託職員に向かって「うるさい!」と怒鳴ったそうです。息子が怒鳴る?親の欲目でもなんでもなく、息子が怒鳴るなんて想像もできません。そう言わずにいられない程の不快な関わり方があったことは間違いないと思われます。でも、責められたのは息子だけ・・・職場は自分たちの対応を変えるつもりはない・・・息子の我慢が限界を越えたんだと思いました。
母は自分を責めました。息子に一般就労をさせたいと決めたのは母。そのために息子を頑張らせたのも母。息子がそうしたいって言ったわけじゃない。それが叶ってみたら、あまりにも辛い現実が待っていました。それは、息子の笑顔を奪っていきました。母が何よりも守ってやりたいとずっとずっと一番大事にしてきたはずの笑顔が消えて、辛そうな顔の息子が目の前にいました。自分が間違っていたんだと思いました。息子に辛い想いをさせているのは自分だと思いました。どうしたら、母の大好きな笑顔が息子に戻ってくるのだろうと、それだけを考えていました。
本人が言う通りに辞めさせようかとも思ったのですが、周りの意見は違っていました。「折角できた一般就労をそんな簡単に諦めちゃいけない。辞めるのはいつでもできる。」そして、ジョブコーチも職場と話し合ってくれ、辞めると言いながらも嫌がらずに出勤する息子に願いを託して、もう少し頑張ってみることにしました。
パート雇用なので、毎年1月に契約更新があります。もしかしたら、そこで更新できないかもしれない。それならそれで良いか・・・と思っていたら、職場から特別何の話もなく契約書を持ち帰りました。そうか、こんなにトラブル続きでも雇用を続けてくれるのなら、いつか上手く行く時がくるのかもしれないと思ったのですが。
契約更新の数ヶ月後、ジョブコーチに母が呼ばれ、会社側が息子に「辞めて欲しい。」と言っていることを聞かされました。理由は、「現場での息子の指導者だった嘱託職員が辞めるので、息子を指導する人間がいなくなるため」でした。“指導者だった嘱託職員”、、、ジョブコーチが息子への関わり方を変えて欲しいと話しても、それを拒否した人です。そういう関わり方しかできない人ならば、息子の担当から外して欲しいとジョブコーチが職場に伝えた人です。障碍特性を無視した関わり方ばかりをして、息子に「うるさい!」と言わせた人です。愕然としました。
会社には何も伝わっていなかったのです。どれだけのトラブルが起こっても、悪いのは全て息子で、会社は何一つ改善しようとは思っていなかったのです。障碍者雇用をしたのに、障碍を理解しようとはしなかったのです。もうそんな会社で息子を働かせる理由は一つも無いと思いました。
それから1年数ヶ月、職業センターでの訓練や就労移行支援事業所に通って、今息子は就労継続支援A型事業所で働いています。一般就労を完全に諦めたわけではありませんが、今は息子の障碍を理解してくれる職場で、落ち着いて働けることが最優先です。
就活をしている間にも厳しい現実がありました。障碍者雇用といえども、一般就労をするなら、一般の人たちと同じレベルの作業を求められること。仕事の環境には、本人が合わせるしかないこと。障碍者のための職場であっても、障碍理解がないことがあること。本人も母も、多くの経験をしてやっとたどり着いた場所で、少しゆっくりしたいと思います。
最後に、私なりに経験したことについてまとめてみました。
①困ったことだけを伝えられても、状況がわからないので、親では対処できない。
働き始めてすぐから、次々と職場の困っていることを伝えられました。それまでなら、学校やその現場へ行って、母がその原因となることを予想して、本人の行動が改善できる方法を考えてきましたが、まさか職場に行ってそれをするわけにはいきません。そこでジョブコーチにそれをお願いしたのですが、最後まで職場からジョブコーチに改善方法を聞くことはありませんでした。
②目に見える問題行動をどれだけ解決しても、根本の原因が改善されない限り、問題はなくならない。
これはどの世界でも氷山モデルでよく話されていることです。出てくる問題だけをいくら解決しても、根っこにある障碍特性に配慮した支援をしないと、問題はモグラ叩きのように形を変えて次々と出現します。対処療法はその場しのぎにしかならず、見えない部分に目を向けないと本当の解決はできません。
③働き続けることで、本人の不安が大きくなるばかりで、こだわりも強くなってくる。
負の連鎖(http://jiheisyou-autism.blogspot.jp/2014/02/blog-post_25.html)は、支援をすることで一旦切れたように見えますが、執着するものを変えるだけで無くなることはありませんでした。それは、本人の不安が無くなるわけではなかったからです。そして段々と、そう簡単な支援策では改善できないこだわりとなっていきました。
④会社側の協力が得られなければ、本人の努力だけではどうにもならない。
国が法改正をして、障碍者の雇用率を上げるだけでは、障碍者雇用の促進にはならないのです。障碍を持った人が努力して職場に合わせるのではなく、会社側がその人の持つ力を発揮できるような環境作りや障碍を理解する気持ちがないと、どちらも大変な想いをするだけです。逆に、障碍があってもその人の力を最大限に発揮できるような環境があれば、障碍者であっても重要な人材となることができるのだと思います。
この国でも、いつかきっと、本当の意味での障碍者雇用が実現する日を信じて・・・
2014/2/28
追記
思い出したので、書いておこうと思います。
息子が辞めることが決まって、会社から「サインと押印をして」と持ち帰った退職届は、印刷済みコピー用紙の裏紙に印刷されたものでした。
怒りしか込み上げてきませんでした。